セドナから戻ってくると
わたしの価値観はまるで変わっていました。
社交とか所有などに対する興味が
まるでなくなっていました。
それまでの友人と話をしても
まるで宇宙人と話しているかのように
まったく接点を感じることができず
彼らの話にまるで興味が持てなくなり
相槌すら打てない感じになってしまいました。
持ち物を大量に処分してしまったのもこのころで
それまででは壁一面のクローゼットの中にギュウギュウ詰めだった服や
アクセサリー、お気に入りの食器など
実に3分の2くらいを手放してしまいました。
サイトのガイダンスのページにはこの頃取ったガイドからのメッセージが載せてあります。
その1 変化に抵抗して混乱していたとき
私:私のこの混乱はどこから来ているのですか?
それは創造の前の混沌です。
全てのエネルギーが動き 組み換えられ 新たに生まれるのです。
そのために一旦 要素はバラバラになります。
あらゆる条件付けをなくして 全く自由に創造を行うためには
できるだけバラバラになっていた方が 都合がよいのです。
今はそれがバラバラになることを許し
コントロールを手放し ただながめていることです。
そうしている間にも 設計図であるビジョンだけは保ち続けるのです。
その2 すごい勢いで家中の処分や整理をしたとき
私:私が今行っていることの真の意味は何ですか?
もう古くなってうまく働かなくなった観念・信念を捨て去る事の象徴です。
あなたは変容のときを迎えています。
サナギが蝶に変わるとき サナギはそれに抵抗しようとはしません。
まだ自分がなったことのないものになることですが
それが素晴らしいものだと知っているのですから。
そしてサナギは 蝶になるのに最もふさわしい形をとって準備をします。
あなたは肉体レベルで エネルギーレベルでまた精神レベルで 変容のためのスペースをつくっています。
と ここで いきなりガイダンス が登場しましたが セドナに行くことに先立つ前の春
初めて「自分以外の意識とアチューンメント(同調)」するという機会がありました。
そして今では段捨離ブームでもはや常識のようになっていますが
その頃のわたしは、ものを手放す度に
自分にエネルギーが戻ってくる感覚を実感し
ちょうどコンセントに挿したままの電気製品が
使っていない時にも待機電力を消費するように
持ち物というのは
それを維持するためのある一定のエネルギーを
持ち主から奪っているものなのだと知りました。
このことは
わたしたちの意識というエネルギーによって
あらゆるものが創造され
わたしたちの目の前に存在しているという
量子物理学的観点から見たならば
今や当たり前のように納得できることなのですが
その当時はそれを身体で感じ
実に不思議に思ったものでした。
持ち物というのは(持ち物だけではなく周りの人、環境などのすべては)
それを手にした時点の持ち主のエネルギーを反映しています。
ですのでその持ち主のエネルギーが大きく変化する時には
それらのすべてがフィットしなくなります。
それによって上記のようにわたしの人間関係も変化しましたし
前に書いたように引っ越すことになったりしたのです。
持ち物は持っていることで変化しづらくなるので
捨てたくなったりするのです。
モノを捨てることに罪悪感や恐怖を持っている人には
モノが壊れたり 失くしたりということが起こります。
実際にこの頃
電気製品が次々に壊れたり(車まで壊れました)
持ち物を失くしたりということもありました。
また昔から
気持ちを切り替えたい時に髪を切る
というようなことがありますが
これも同じ理由です。
髪の毛や爪はすでに死んでいる細胞 つまり過去のエネルギーですので
今の自分の変化についていっていないのです。
ですので 自分の意識が大きく変化する時には
無意識に髪を切りたくなるのでしょう。
このような訳で
この頃のわたしの変化は
半端ないくらいに大きく激しかったので
いろいろなものを破壊してゆくことになりました。
何の不満もなく幸せだと信じていた結婚生活にも
違和感を感じるようになり
住まいから 人間関係から 持ち物から
もうありとあらゆるそれまでの全てが
まるで自分の存在する舞台が
自分以外
全部取り壊されていくかのようでもあり
それに抗うことも
できませんでした
※したくなかった。
わたしの場合
急速に波動変化しすぎたといえるかもしれません。
そのために家族に犠牲を強いる結果になった部分がありました。
でも結果的に見れば
それは全員にとって良いことだったのです。
そうして その破壊が一段楽した時
上記のガイダンスにあったように
新しく何かが生み出される時がやってきたのでした。