BLOG 幸せの処方箋

重い病気を抱えて苦しんでいる方へ

こんばんは。綺麗な満月です。
今日は暖かかったですね。春一番でしょうか?
わたしの家の近くで梅が咲いているのも見つけました。
モクレンの小さなつぼみや桜の枝先もふくらんで
春の訪れが間もなくであることを告げています。心躍る季節です。

今 重い病気にかかって不安に押しつぶされそうな方がおられるかもしれませんが
恐れさえ捨てることができれば 死の目前であったとしても必ず助かります。
そこまで病が重くなったのは 病状を気にして 恐れたからです。
ですから恐れることをやめれば 身体は元に戻り始めます。
さらに 健康な状態を意識すれば 即座に身体は反応します。

余命宣告をされると 一部の人を除いては 「死の恐怖」に襲われます。
これは自然な反応だと思います。
そしてその恐怖に取りつかれてしまうことによって 実際に身体を弱らせてしまうのです。

わたしは重い病気にかかりそれを克服した人と 克服できなかった人をよく観察するように示されました。
そこまでひどい病状ではなかったにもかかわらず命を落としてしまう人もいれば、まさに必死、死の目前といった状況から生還した人もいます。

そこには、これを飲んだからとか あの療法に取り組んだからという絶対的な因果関係は見い出せないのです。

でもただ一つ 見出せたこと。

それは 回復した人は心が平和だったのであり 回復できなかった人は心が恐れでいっぱいだったということです。

「きっと良くなる」と信じることができた人はもちろん、たとえ諦めたように見える人でも、いったん病気を受け入れた人にはどこか心の平和があります。

一方で、決してあきらめないと頑張って強い気持で病気と戦っているように見える人の心の中にも恐れが見えることがあります。
この場合実際には戦っているのではなく、逃げているのです。
逃げるのは「恐れ」が潜在意識にある証拠だとは思いませんか?

この違いは何かといえば、その人の意識の向いている先が「健康」か「死」かということです。
それだけが生と死を分けているのです。

意識の向き先というのは潜在意識の向きですから、いくら「絶対に良くなる」と信じようとし、言葉に出し、行動しても、潜在意識が死を恐れているなら 意識の向いている先は「死」であり 死に向かってしまうのです。

一方で「恐れ」の方向に向きさえしなければ、たとえ「健康」にことさら意識を合わせていなかった人でさえ「回複」に向かうのです。

ニュートラルな状態はどこにも舵を切っていない状態ですから、そのような時には肉体は自動的に「生存」の方向に向くようにできています。
その方向を「恐れ」という意識によって、わざわざ悪い方向に向けてしまうことは是非とも避けなければなりません。

「恐れ」こそが、病気の正体であり
人間の心が作り出したこの「恐れ」という実態のない意識が形をとったものが病気という創造物であるということをわたしは学びました。

ですから重い病気にかかってしまったなら まずしなければならないことは治療ではなく
心の平安を取り戻すことです。

そのためには、今どのような状態であったとしても 健康に戻るためには 現状に振り回されてはいけないのです。

ですから念のための検査というのはとてもよくないシステムです。
今の状況がいかなるものであっても、今あなたが存在している状況から向かう方向は
「健康」か「死」のどちらかであり あなたがそれを決める力を100%与えられているのです。
これは現在健康な人も全く同様です。

あなたがもし今生きているのであれば、そこから「健康」に向かう方向に舵を切れば、
あなたは決して病気で死ぬことはありません。

最初はどんなにゆっくりなペースであっても
方向がよくなる方向に向かっているのであれば、いつかは健康に到達するでしょう。

目的地の一歩手前であったとしても、そこから踵を返してもと来た道を戻れば
決して目的地に着かないのと同じことです。
逆にそれほど悪い病状でなくても、いつも悪くなっているのではないか?悪くなるのではないか?
と「病気」や「悪化」に意識の舵が向いていれば、じりじりと悪くなっていってしまうのです。

逃げないこと。
決して今の状況から目をそむけたり、何も起こっていないふりをしてはいけません。
何かから逃げているときには、常に追手を意識するものだとは思いませんか?
病気や死から逃げているとき、あなたの意識はそこから離れることができていません。
潜在意識は恐れでいっぱいなのです。そうでなければ逃げないでしょう?
いったん受け入れるのです。そこから向きを変えることができるのですから。

そして闘わないことです。
病気にかかったことが悪いこと、起こらなければよかったことだと感じていると 病気と闘ってしまいます。
闘うことは病気に意識がロックオンされています。
意識は常に病気にではなく健康にロックオンするのです。

力まなくても意識が「病気」や「死」に向き続けていなければ
「恐れ」から解放されれば、必ず病は良い方向に向かいます。

意識の向きを「健康」や「生」に向けると決めたのなら、そこからは現状を見ないことです。
今のあなたの病状は今までの意識の結果なのであり、あなたが舵を切り直した結果は
次第に現われてきます。

でも種をまいても土から芽が顔を出すまでには時間がかかるように
それがすぐに現れないからといって 現状を調べてがっかりしたり
やっぱり悪くなっているんじゃないだろうか?と疑うことは
土を掘り返して 芽がちゃんと出るのかどうか何度も確かめることと一緒です。

そんな事していたらなかなか芽は出ないでしょう。
それは芽が出ることを妨げる行為です。

潜在意識は目には見えず、ひょっとしたら知らないうちに忍び込んだ意識によって
あなたは病気になったのかもしれません。
そこから病の元となる意識を追放するには、
まず顕在意識でそこに意識を向けないことが大切です。

いったん恐れにつかまってしまった状態から(それが長く続けば続くほど切り替えにくくなります)
どうしたら効果的に恐れのないニュートラルな状態、さらに健康にフォーカスした喜びの状態に意識を切り替えることができるだろう?とわたしは問いつづけました。
今も問い続けています。

いくつかの効果的な方法が目の前に示されました。
わたしが昨年から取り組みつづけている潜在意識
そこにすべての鍵があったのです。

なぜ昨年から潜在意識の働きに強い関心を持ち続けてきたのかも
理解できました。

わたしは本気でこの地球から怖れや病気を無くしたいと思っているのだと
それが幻想であり、創造主であるわたしたち人間が
そのすべてを創り出すことのできる力を使って創りだしてしまったものなのだということを
すべての人に思い出してもらうためのお手伝いをしてゆきたいのだと
そのために今自分は存在しているのだとはっきりと自覚しました。

また書けるときに続きを書きますが
この体験を通じて わたしは

今この地球に命を持って生きるということの真の意味

たくさんの生命がわたしに生命を注いでくれていること

この世界に存在しているものは何ひとつ分離してはおらず生命を分かち合っていること

この世の中には起こってはならないことなど何一つなく 存在すべきでないものもないこと

わたしたちは神(宇宙・創造主)の腕の中で何ひとつ心配しないで 安心していていいのだということ

を学びました。

そして 今ここに生きているということがどれほど恵みと奇跡に満ちているのかということを実感したのです。

わたしは感激屋なところがあるので、自分でも生きていることの喜びを感じたことは何度もあります。
そしてまたこのような言葉をわたしは何度も読んだことがありましたが
その時には当たり前のような感覚しか感じなかったものでした。

ですが 自分の命が消えることを実感を伴って意識したことで 「生きる」ということが強烈なコントラストによって際立って感じられました。

今までわたしが感じていた喜びや感謝は 実際に生きていることの恵みや奇跡に対しては
あまりにも小さいものだったのです。
今わたしは 生きるということがどれほど素晴らしいことなのかを生まれて初めてと言えるような感覚を持って実感しています。

今までわかったような気分でいたわたしは、なんて偉そうだったんでしょう!
このことは病にかかった人々に与えられた特権なのではないでしょうか。
こんな風に「生きる」ということの真の意味を自然に学ぶことは死を意識しなくては難しいと思います。
病気はメッセージだと言います。
わたしはさらに恩寵である。と言いたいのです。
それは何かの罰でも 不運な出来事でもなく
あなたが生き方を見直し
真に「生きる」ということの意味を知った上で生きることができるようになるためのチャンスなのです。

わたしは今 そう確信しています。

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