わたしは太陽崇拝者です(笑)
とにかくおひさまが大好きで
自分は実は植物なのではなかろうかと思うほど。。
とにかくおひさまが明るく輝くと
ご機嫌に嬉しくなってしまいます。
それはちょうど お母さんがご機嫌で幸せそうだと
自分まで嬉しくなっちゃう子どもの気持ちと似ているな。。
うちの並びにある天照皇大神にもお参りしますし
家の中にも伊勢の神宮で戴いたお札をお祀りしています。
伊勢神宮は
初めて訪れて以来 ひとりや日帰りでも年に何度も訪れていて
大好きな場所です。
参拝するときのあの慕わしさは
いったい何なんだろうと 我ながら不思議に思うほどです。
考えてもみてください。
もしおひさまが3日間昇らなかったら?
夜の闇の中で3日3晩過ごすことになったとしたら?
まずものすごく寒くなりますが
電気があるから暮らし的には困らないかもしれません。
でもわたしたちの生体エネルギーに与える影響はどうでしょう?
おそらくすごく元気な人を除いて
不調を感じ始めることでしょう。
感情エネルギーのレベルでも
気持ちが上がらない なんとなく沈みがちになってゆくでしょう。
もしそれが一カ月続いたら・・・?
ほとんどの人が絶不調を訴えるでしょう。
というか生きてゆけるのかもわかりません。
食物が育てられない 漁に出られない
などという問題ではなくて
そもそも植物が育たない環境では
わたしたち人間の細胞も生きることができないからです。
またネガティブな想念のエネルギーも
一斉に浮上します。
それをわたしは何年か前の皆皆既日食の日に感じました。
太陽のエネルギーは
わたしたちば長年に渡り 生みだし 溜め込んでしまった
ネガティブな想念のエネルギーを 中和し続けてくれているのです。
実家のある屋久島では皆既日食を野外で見ていた知人が
猛烈な吐き気に襲われたと言っていました。
わたしは皆既日食の日には
無防備な状態で野外にいることをお勧めできません。
わたしは直感的にその時間部屋の中から出ませんでしたし
窓も閉め切っていました。
ゾンビが地中からはい出てくる映画があったと思いますが
なんとなくそれを思わせるようなエネルギーの状況を感じました。
それらのエネルギーは
おひさまのエネルギーと共存できないために押さえられています。
数時間の日食でもあれほどの影響を感じたのですから
数日続いたとしたらどうなってしまうかわかりません。
富士山に登った時 もうみんな酸欠でへろへろ状態で仮眠。
でもご来光を見た瞬間から 元気100%になった訳もわかりました。
太陽は
わたしたちの身体を育て 食べものを与え 暖ため 守り 育んでくれています。
これはまさにお母さんのお仕事そのものではありませんか!
おひさまは わたしたちみんなのお母さんだったのです。
それであの慕わしさの訳がわかりました。
永遠の母性原理である太陽のエネルギーを
わたしたちもまた細胞のひとつひとつの中に有しています。
農耕民族であるわたしたち日本人は
お日さまと共に暮らしてきました。
日本という国名にも 国旗にも
おひさまが現されています。
お友だちのトーマさんのブログで読んだけど
「こんにちは」っていう言葉は
「今日もおひさまと共にありますか?」
っていう意味で
「さようなら」っていう言葉は
「さようならば(おひさまとともにおられるのならば)よかった。ではまた」
っていう意味なんですって。
素晴らしい国ではありませんか?
おひさまが明るく昇れば希望が満ちてきます。
わたしたち日本人は
さまざまな外的状況に翻弄されているように見えますが
もう一度 おひさまという同じおかあさんを持つ家族として
ひとつになりましょう。
明るいおかあさんのいる家庭には
明るい家族が生まれます。
わたしたちの本来の性質を思い出し
生まれながらに持っている明るさや強さを思い出しましょう。
2011年9月23日