感情って
大きく分けると
「快」と「不快」に分けることができると思うんだけど
これは
「好き」と「嫌い」といってもいいよね?
この
「好き嫌い」に関して
わたくしちょっと考察してみました。
あくまでわたしの場合。
自分にはない桁外れに優れた資質を持っている人に出会うと
その人を見上げてしまう人っていますよね?
やたら凄いってまつりあげたり 教祖にしようとしたり。
そういう人って
逆に誰かを見下したりも
絶対にしちゃうと思うんです。
あるいは
そういう人から何かを得ようとして
近づく打算的な人もいるかもしれない。
そういう人はいくら上手に立ち回っているつもりでも
結果的には思うようなものを得ることはできないんじゃないかな?
わたしの辞書には打算っていう言葉がないから未知なんだけど
そういう人は本当の愛を知らないんだろうな
かわいそうだなって思います。
わたしの場合はね
そういう存在に出会うと
限りなく「好き」が爆発しちゃうんです。
性別にはかかわりなくね。
それは本当に「無条件レベルの好き」で
わんこが飼い主を慕うのと近いものがあります。
どこまでも近づきたいし 喜ばせたいと思うし
愛してほしいとか 何かを求める気持ちはもう全然なくて
ただ側にいるだけで
自分が好きだと思う気持ちで酔えます(笑)
そうして自分自身も成長して
その存在に近づきたいと思うのです。
それは物理的にも気持ち的にも
精神的にも霊的にも。
これがわたしにとっての
「好き」っていう感情です。
好き過ぎて相手を「怖い」って感じてしまう人がいますが
わたしにはそういうことはありません。
逆に誰かの
ずるさなんかを感じてしまって
「不快」とか「嫌だな」と感じた時には
わたしはその相手のことを「怖い」と感じてしまうのです。
いつか
愛のあるところには
恐怖は存在できない
って教えてもらったことがあるけれど
それって本当なんだな
って思います。
だから わたしにとっては
好き=近づきたい
嫌い=離れたい
であり
これは反応ともいえるくらい自然なことで
子供や動物はみんなこうだよね?
実際の人間関係においては
限りなくその中間レベルが存在しますが
基本的にシンプルなのです。
好きや嫌いの感情に理由はいりません。
それは全くあなたの主観的なものであり
それでいいからです。
あなたが 灰色のクレヨンが嫌いだからといって
「なぜ灰色が嫌いなの?好きになるべきよ。何故ならね」
なんていう人はナンセンスです。
自分が誰かを嫌いと思う感情に抵抗して
=「灰色のクレヨンだって必要なの。だってね・・・」
(好きになるための理由探し、つまり好きじゃないってこと)
すべての人を好きでいようとしたり
=「全ての色のクレヨンを同じように好きでいるべきよ」(無理よね?)
嫌だと思う気持ちを正当化しようと
相手の悪いところを証明しようとしたりするより
=「わたしが灰色が嫌いなのは わたしが冷たいからじゃなくてちゃんとした理由があるの」(たいていは後付け)
自分に生まれる感情をもっとシンプルに
認めてあげてもいいんじゃないかなって思います。
そうすると不思議なことに
嫌いなものよりも
好きなものに意識が向きだすのです。
「灰色のクレヨン?あんまり好きじゃないかも?それより私ピンクが好き」
これのどこに問題があるのでしょう?
クレヨンが人になっても
おんなじじゃないかなって思うのです。
何故セッションではまず感情に取り組むかというと
感情はあなたを過去のある時点に留めてしまうからです。
人生が先に進まないロスタイムといえるのです。
そんな感情にとらわれちゃってる浮き嫌い
大事なことに向き合う時間もエネルギーもなくなっちゃう。
感情を整理して
大切なあなたの人生に意識を集中しましょう。
では今日も良い一日を♪
2011年8月27日