悟りというのは
全てのものが一体で この世のすべてがそれ
だということを
頭で知っているのではなく
一時的にそれを体験したというのでもなく
もうそういうふうにしか見えなくなった状態
のことを指すのだと思いますが
そこに到達するまでには
一時的に世界がそう見える
またもとの感覚に戻る
ということがしばし繰り返されて
ちょうどこのような
白い布をかぶり、首にチョーカを巻いた
若い女性の横顔の絵にしか見えなかったものが
ひとたび老婆の横顔が見え出すと
見方によってどちらにも見えたりする
もう全然違う絵のように見える!
っていうのを繰り返して
そして次第に
もう老婆としか見えなくなってしまうように
(この場合は人によって見え方が違いますが)
ついには 実相である
全てはひとつ わたしもなければあなたもない
の境地に到達するのだと思います。
その二つの世界の価値観がまるで違っているものですから
やや戸惑いを感じるものです。
けれどもひとはみなひとり残らず
この実相の世界を
心の奥底では知っているような気がします。
なぜならとても懐かしいような
よく知っている感覚だったりするからです。
そんなあっちに行ったりこっちに戻ったり
通常表示から、HTLM表示に切り替わったりみたいなことを
繰り返している最近のワタクシです。
さて
どのようにして一番やりたいことが仕事になったかを振り返る(その10)では
価値観の変化の後で起こったことを書いてまいりたいと思います。
価値観がまるで変ってしまったわたしは
今まで見えていなかった世界の美しさに目が開き
自尊感情も取り戻していました。
それまでの価値観では
「もっときちんとした人にならなくては」とか
「もっとしっかりしなくては」とか
自分にダメ出しばかりをしていたのですが
そういう部分も自分らしさとして
諦めるというのか
受け入れることができるようになってゆきました。
そうして自分の欠点を埋めようとすることはキッパリ諦めて
自分らしさを活かしてゆこう
と考えるようになったのです。
この頃娘のピアノのお稽古に
ずいぶん遠いところに通っていたのですが
その待ち時間に入った駅前の小さな本屋さんは
雑誌などは一切売っておらず
今思うと驚くほど精神世界系の本ばかりが並んでいました。
わたしは毎週3冊くらいの本を買って
それを1日で読んでしまう、
ということを数か月繰り返していました。
この頃読んでいた本はもうすべて手元にありませんが
「聖なる予言」とか「怠け者のさとり方」などがあったと記憶しています。
このような本を読むことは凄くワクワクすることでした。
今思うとあまりにワクワクして
自然に速読をしていたのだと思いますが
わたしはちょうど映画のETみたいでした。
斜めにどんどん読み進んでしまって
30分くらいで一冊を読み終えてしまうのです。
そしてある時 新しく本を買おうと思った時に
本を手にしただけで
その本の全体の内容がわかってしまうようになったのです。
さらにはその本を書いた人の思いというのか
そういうものまで感じ取ってしまうようになり
もう読む本がなくなった
と感じました。
それ以来本がほとんど読めなくなってしまいました。
この時起こっていたことというのは、以前こちらに書いた
コミットメントの持つ力を
みなさんは知らないのです。
あなたが決めてしまえば
そのために必要なことにあなたは導かれます。
まずカードを集める必要があるなら
そのことに導かれます。
ということだと思います。
わたしは、わたしが自分自身を取り戻してゆくプロセスを
同じように自分を見失っている人たちに提供したいと思いました。
そうコミットメントした時
わたしには「どうやってそれをしたらいいのか」は
何もわかりませんでした。
でもコミットメントしたので
まずそのために必要な智恵や知識を
身に付けるような体験に導かれていったのです。
それはちょうどナビに行き先を入れれば
まずはこの道を通って
みたいに導かれるのと似ています。
やりたいことを形にするにはどうしたらいいですか?
そのようなご質問を受けることもよくありますが
まずコミットメントしたうえで(←ココ大事)
目の前のワクワクに従ってゆくと
それが本当にやりたいことにわたしたちを導いてくれるものだと
わたしは確信しています。
コミットメントなしでは
ワクワクに従っているつもりでも
行き先を入れないナビのように
そのあたりをグルグルすることになります。
この頃ぼーっとしている時や寝る前などに
色々なワークが浮かんできて
それを自分で試したりもしていました。
こんな風にわたしが今やっていることの原型が
自分でもそうと気が付かないうちに
次第に形になっていったのです。
続く。。。
どのようにしてやりたいことが仕事になったのかを振り返る(その11)誰でもできる仕事をクビになる