BLOG 幸せの処方箋

どのようにして一番やりたいことが仕事になったかを振り返る(その11)誰でもできる仕事をクビになる

どのようにして一番やりたいことが仕事になったかを振り返る(その10)必要な体験に導かれる
の続きを書きます。

わたしは
やりたいことをやって
それをライフワークにしたい!

そして自立したい!と思いました。

それにはまず自分である程度のお金を得なくては
とわたしは思いました。

けれどもわたしは就職したことすらなかったので
意図的にお金を稼ぐ
という概念がいまいちよくわかりませんでした。

学生時代にひょんなことから始めたアルバイトは
イベントコンパニオンというもので
モーターショウとか
ビジネスショウとか
オーディオフェアとか
今は有明のビッグサイトで開催されているような
さまざまな見本市が当時晴海の国際展示場で行われており
そのコンパニオンやナレーターのアルバイトでした。

バブルの時代でしたので景気がよく
コンパニオンのお仕事は
1時間交代で一日実質3~4時間。
休憩時間には
仲間たちとおしゃべりしたり
おやつを食べたり
5時ピッタリに終わるので
いつも帰りは仲間たちと楽しく遊んでいました。

この仕事は受けるとか受けないとか自分でスケジュールを選べて
10日も働くとOLの初任給を軽く超えてしまうので
わたしは就職する気をなくして
そのままイベントコンパニオンのバイトをして
気ままに海外旅行に行っては
お金を全部使い果たしたりしていました。

とにかく計画性というものが
わたしにはまるでないのでありまして
これは今でもそう変わってはいませんが(笑)

そのまま結婚して専業主婦になったので
自立しようにも
まずはリハビリが必要なのでした。

とりあえず何か仕事を探してやってみよう
そう思って求人誌を買ってみたのですが
履歴書に書くことが何もないのです。

職歴なし

特殊技能なし

しかも当時は年齢制限があって
34歳以下とどこにでも書いてあって
わたしってまともに働く資格さえないんだ!
とわたし個人としての社会的無価値感に愕然とし

生まれてから続いてきた極楽とんぼな気分が
夢からさめたように消え失せてゆくのでした。

けれども長年培ってきた筋金入りの能天気ぶりで

ま。ここからはじめるしかないっか。
ずいぶんのんびりしちゃったわ。

みたいにすぐに気を取り直し
ほどなくして
ある会社の事務的なアルバイト(自給1000円 実働時間4時間)
に就きました。

最初のうちこそ張り切って
朝テキパキ支度をして出かけて行き
もの珍しさも手伝って楽しくお仕事していたのですが

1か月もしないうちに
ここにいるべきじゃない
と感じるようになりました。

その職場にいる人たちはみないい人たちで
とても親切にしてくれましたが

「自分の人生なんてこんなものだ」

「ちょっとしたラッキーがあって生きてゆければそれでいい」

と思っているようにわたしには感じられてしまい

「自分は人生をどのように生きたいのか?」

と問うことなどないようにわたしには思えてしまったのです。

しかもその中にいると
アウェイなわたしのほうが変なんじゃないか?
という気がしてきて
居心地の悪さを感じるようになっていたのです。

半日働いてランチして帰ったり
おやつを買って帰ったりすると
お金はあまり残らず
これのどこが自立につながるんだろう?
と感じざるを得ませんでしたが

せっかく勤めたんだからやめちゃだめだ
という考えが浮かび
惰性で通っていた2か月に入ったばかりのある日

わたしは会社にダメージを与えるような
大失敗をしてしまい
いろいろありましたが結局
解雇されることになりました。

それまで「拒絶される」という体験をあまりしたことがなかったので

クビになる

という体験は、それなりにプライドが傷つくもので

しかもここにいちゃだめだ、と自分では思っていたところから
あなたは要りませんと言われたわけですから
もやもやするし ショックな出来事ではありましたが

心のどこかでは「もう行かなくてもいいんだ」という晴れ晴れとした気分で
いつものようにおやつの大福を買って帰り

テレビをつけたら 忘れもしない
ブラッドピットとジェニファーアストンの
婚約の話題のワイドショウをやっていました。

ブラピは映画1本のギャラが200万ドル(2億円)
ジェニファーアストンは30分のドラマの出演料が4000万円
世紀のビッグカップルの結婚です!

というのをぼんやり聞いて

あ。やっぱりやりたいことをしなくちゃダメなんだな。

とすとんと腑に落ちました。

それでわたしは
やりたくない仕事はもう決してやらない
とコミットメントしたのです。

そこからの展開は
今思うと本当に早かったのですが

わたしはこの自分自身を取り戻した癒しのプロセスを提供し
それをわたしのライフワークにしよう
どうやってやるのかはまるでわからないけれども
と決意しました。

この強くブレないコミットメントが
すべての始まりだったと今ならわかります。

そうして何をしていいのかは皆目わからないまま

でもそうするんだ!

という気持ちを抱き続けていたある日
テレビにジャパネットタカダの社長が出ているのを見ました。

続く。。。

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